学ぶことに上下関係は不要である。
子供にしてみれば、
「勉強しなさい」という言葉には、上下関係があるようにとらえることが多い。
だから、しない。
学習塾に集まる生徒達は、少なくとも「成績を上げたい」「志望校へ合格したい」
というベクトルがある。
そして、教える者が他人である。
この条件で、勉強へ仕向けることが容易だ。
あとは、どう引き出すかが指導者による。
また、
答えや結果にたどり着くことを、
進路選定の際の自己決定力や困難を乗りこえるための精神力である。学習が生き抜くチカラになると大げさに指導する。
それも肝心。
もう一つ、
私には質問に来る生徒が少ない。。。。自分で探すことを促す。
(単純に怖い。。。理科は無理だろう。。といったほうが正解なのかも(^_^))
他の講師へ、生徒の同じ質問に2回も3回も答えるなと言う。。。。自立を促す。
そういった引き出し方をする。
話は飛ぶが、
長崎を活動拠点にした、坂本龍馬の亀山社中には上下関係がない。
あったのは、日本を変えたいという「志」だけだ。
また、長崎の卓袱料理(しっぽくりょうり)を囲む際は、円卓だったという。
そこで、上下関係を取っ払い (だから円卓)
それぞれの想いを志士達がぶつけた。
この春も、
立場にとらわれない指導に徹底したい。
ただ、学ぶ姿勢には口うるさく。